【YOU! TELL ME MY NAME!!】
Jounouchi×BAKURA +α

 シンプルな調度で構成された、清潔で広々としたマンションの一室。
 部屋の主である獏良の家庭的な性格の為せる技か、男の一人暮しだと云うのに、床も家具も塵ひとつなく片付いている。
 そんな、普段は静かな獏良宅の居間は、今日は酒盛りの為に集った級友達のせいで、ツマミや空き缶が散らばり、陽気な笑い声が飛び交っていた。
 御伽の発案したゲームを、某大手玩具メーカーの福社長がいたく気に入り、商品化されることが決まったとかで、その祝いを口実に獏良宅で飲み会が開かれていたのだった。
 新居と店舗がオープン当日に全焼という憂き目にあった御伽は、これでゲームが売れればローンが返せると、嬉し涙ながらも上機嫌であった。

「あれぇ、城之内君〜?」
 夜も十一時を回り、大量に買いこんだビールもほぼ空になってしまったころ、遊戯は、何時の間にか酔いつぶれてしまったらしい城之内に気がついた。面子の中では一番アルコールの摂取量が多かったのだから無理もない。
 遊戯自身も酔いの回ったろれつの回らない口調で、床に転がる親友に声をかけるが、反応がない。
「城之内君寝ちゃったよう〜」
「まー、あんだけ飲めばなァ…。じゃあそろそろオレ達も帰るとするか…」
 本田が名前を呼びながら城之内の肩を強くゆするが、むにゃむにゃと意味をなさない呻き声が洩れるだけだ。
「うーん、かついで帰るのはちょっときついなあ…、コイツん家結構遠いし…」
 遊戯と御伽と三人で城之内を囲んで思案にくれていると、台所で片付けをしていた獏良がエプロン姿でひょっこり現れ、三人寄っても知恵の浮かばないヨッパライ達に声をかけた。
「なんなら今夜は城之内君、僕の家で泊まっていってもらおうか? 一人分くらいなら布団もあるし」
「おう、すまねーな獏良。じゃあ、コイツ頼むわ。なんならその辺の床に転がしとけばいいからさ」
 酔いどれ城之内を家まで送り届けるのを断念した三人は、有り難く獏良の申し出に乗ることにして、宴の後始末を始めた。獏良の腕力では城之内を一人で運ぶのは辛いので、本田がソファに横たえてやる。

「じゃあ、城之内君をよろしくね、獏良君。」
「任せといて。明日は日曜日だし、ゆっくりしてってもらうよ。遊戯君たちも気をつけてね」
「うん、おやすみ、獏良君」
「今日は散らかしちゃって悪かったな、また月曜日に」
「じゃ、またな」
「バイバイ、みんな」
 三人を見送って、玄関をロックすると、獏良は居間に戻った。
 だらしなくソファに寝転がっている城之内の側にしゃがみこむと、軽く肩を揺すってみる。
「城之内君?起きれる?」
「……あ、…ばくら…??」
 今まで全く反応のなかった城之内が、ようやくぼんやりながらも眼を開き、視界に獏良を見とめたらしく、その名を呼ぶ。
 獏良はにっこり微笑むと城之内を起こそうと手を差し出した。
「よかった、やっと眼をさましてくれて。気分はどう?」
「うーーー…ちょっと、クラクラする…かも…」
「いっぱい飲んでたからね。今日は家に泊まっていくといいよ。ベッド使う?」
 よいしょと、城之内を引き上げると、まだ酔いは抜けていないようで、獏良の支えでようやく立っているという感じだ。
 城之内は鈍い動きで獏良の方を向く。しばらくじっと見ていたが、上気した顔に薄い笑いが浮かんだ。
 流石に獏良も怪訝な顔になる。
「なーんかさ…、オカアサン、みたいだ…」
「はぁ?僕がぁ〜??」
 城之内の比喩に、獏良は意外と言わんばかりに声をひっくり返す。
 今までの人生、生まれ持った女顔のせいで、女の子に間違えられたり、酷い時には痴漢に遭遇した経験もあったが、この年齢と性別で母親はあんまりじゃないか。
 しかし城之内は、にへらにへらと笑みを浮かべたまま、たどたどしく言葉をつむぐ。
「うん…、エプロンだしぃ…オレのこと気遣ってくれるし…」
「あ…はは。そういうこと…」
「うんうん…、にこにこしてるし…綺麗だし……、料理うまいし‥‥」
 はっきりしない口調で語りながら、城之内の身体がずるりと獏良のほうにもたれかかる。
 そうなると、身長も体重も腕力も城之内より劣る獏良では支えきれない。
「え?ちょっと…っ、城之内くん…?! うわっ…」
 がたんと騒々しい音と共に、二人の身体が居間の床に折り重なって転がる。
 自分より大分体格のよい城之内の下敷きになってしまった獏良は、必死に這い出すとぶつけた背中をさする。ちょっと痛い。
「いたた…、城之内君、やっぱソファで寝てもらえる? 僕じゃ運べないから…」
「あー…? 何言ってやがる〜、一人で歩けるってえの〜」
 よろよろと、千鳥足の最適な見本のような足取りで、寝室に向かうドアに向かう城之内。
 悪酔いする質なのか、いつもの彼とはずいぶんギャップの有る城之内に、さしもの獏良も対応に困る。
 得意の天然毒舌も、大脳新皮質が麻痺気味の酔っ払いには効き目がなさそうだ。
「ああ〜〜、そっちはトイレだよ城之内君〜〜」
 慌てて後ろを追い、懲りずに肩を支えてやったら、肩にまわされた腕に、ぎゅうっとかかえられてしまった。
 そのままズルズルと引きずられ、ベッドに放りだされる。
 居間の明かりの逆光で、城之内の表情はあまりよく見えないが、目が据わっていて、おっかないなあと獏良は思った。

 さて、ここにきて困ったのは、獏良の首からぶら下げられ、顛末を見守っていた千年リングだ。
 宿主・獏良了という少年は、白面の可愛らしい容貌と、おだやかな物腰で、高校の女生徒から人気が高い。駆け出しの漫画家のファンレターより、ひょっとしたら多いのではないかと思われるラブレター。バレンタインともなれば、大量のチョコレート。
 しかし、当の本人は、この年齢の少年としては、健全とは言いがたいほどに、全くといっていいくらい、女性に興味を示さない。
 ハリウッド系グラマー美女の孔雀舞を前にしても、他の男共がみっともなくデレデレしている後ろで今夜のご飯の心配をするような男である。
 女に興味がないから、同姓愛だとか、幼児愛好といった変態趣味があるかといえばそんなことも無く、コイツには性愛本能とやらが綺麗さっぱり欠落してしまっているのだろうかと、千年リングは柄にもなく心配していた。
 ひょっとしたらオレが宿主に選んだコイツは不能なのだろうか?
 それとも、この歳にもなって、思春期はおろか二次性徴もまだだったりするのか?
 そういえば、朝ヒゲそらなくていいから面倒が無くて便利だくらいにしか思っていなかったが、よく思い出してみると、今自分が居候しているこの身体には、髪の毛と眉毛とやたら長い睫毛以外に毛って生えていただろうか??
 まさか、オレが永遠の宿主と決めたこのアルビノ小僧の身体は、とんでもない欠陥品なのではなかろうか???

…そういう経緯ですっかり不吉な思考に捕われてしまっている千年リングだったが、宿主の性的思考の不健全性を心配をするわりには、数千年間、性別もへったくれもない金属の塊としてすごしてきた弊害か、彼自身も身体感覚だとか、肉欲だとかいった類の欲望に対してはどこか希薄で、その代わりなのか「血液を浴びるのが気分いい」だの「人間の肉が燃えるのを灰になるまで観察したい」だとか、真っ当とは云い難い偏執的嗜好を持っていた。
 ブルブル震える手でカサブタを剥がして、血がじわりとにじむのにゾクゾクするタイプらしい。
 獏良がウキウキとビデオレンタルしてきた発禁スプラッタ映画を、二人してワクワク鑑賞するのが毎週末の週間で、たまに切除系やら死姦やらのアダルトビデオも混じっていたりするが、正式な利用法(?)に使用されたことはなく、あくまで獏良にとってはホラー同様の鑑賞用でしかない。
 宿主が、ごくごく正常男性向けのアダルトビデオを見ているのを、バクラは今だかつて知らなかった。
 どっちにしろ「ばくら」という人間には、真っ当な性的感覚はないようなのだが、それでも年長者の責任か居候の気遣いか、千年リングは邪悪な意志なりに、宿主のことを心配していたりするのだった。

 閑話休題。

「じ、城之内君…?」
 エプロンのままベッドに転がされてしまった獏良に覆い被さるように、二人で寝るにはやや狭いシングルベッドに、城之内も乗っかる。
 獏良に圧し掛かった城之内は、無言のまま、あろう事か彼のシャツのボタンに手をかけた。
「!!!!!」
 その瞬間、城之内は気づかなかったが、獏良の色素のない髪の左右一房ずつが、野生の野兎が警戒して耳をピンとそばだてる時のように跳ね上がった。
 すでに城之内が圧し掛かっている身体は獏良のモノでは無くなっていたのだが、彼は気づかないまま、はだけた襟元に顔をよせた。

「死ねぇええ!!!!」

 華奢な首筋に無礼な侵略者の唇が触れようとした刹那、それまでされるがままだった獏良が金切り声と共に城之内を突き飛ばした。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええぇぇエーーーー!!!死んっじまえぇーーー!!!」
 バクラ本人も相当錯乱しているようで、ひねりのない呪詛を繰り返しながら城之内の頭を枕元においてあった目覚し時計で何度も何度も殴打する。
 じきにプラスティック製の安物の時計が半壊してしまった頃、時計の硬い角で打たれた城之内の頭に血が滲んだのを見たバクラは、ぜいぜいと荒い息をつきながら、時計のなれの果てを床に放った。
「…目ェ覚めたか…、この色ボケがあ‥‥」
 ベッドに不自然な姿勢で倒れ伏した城之内に、警戒は緩めずに声をかける。
 あれだけ殴られたのだから、すぐには復帰できないだろうし、今夜はトイレにでも閉じ込めて、さっさと寝ちまおうと、バクラは考えた。
 城之内の身体を床に落とそうと、手を伸ばす。
 全く動かないので、気絶していると踏んでの動作だったのだが、予想に反して、腕を掴まれてしまった。
「!!」
「………痛え…」
 量の多い金髪から、だらだらと鮮血を滴らせ、城之内は低くうめくと、しかし素早く起きあがる。
 血が数滴白いシーツにぱたぱたと散り、赤いしみが出来てしまった。
 バクラは掴まれている手をどうにか引き剥がそうとするが、腕力の差は如何ともしがたい。生ッ白いインドア少年の細腕を、喧嘩慣れした元不良は左手1つで一まとめに押え付けてしまった。
「離せっテメエ!!」
 きいきい叫ぶバクラの反撃など、全く意に介さぬ様子で、城之内は体重をかけて自分より一回りは小柄な身体をベッドに押し付ける。
 その拍子に、握り締められたままの手首がひねられ、バクラは痛みに眉をしかめた。
 城之内は相変わらずのすわった両目のまま、片手で器用に邪魔なエプロンを剥ぎ取る。
 バクラの知るところではなかったが、城之内克也という人物は、体育会的な外見に似合わず、意外と手先が器用だった。
 ハッタリまがいの小手先コンボが得意なのも、彼本来の素質からいって当然の事といえるだろう。
 三つ目くらいまで外されてしまっていたシャツに手を差し込むと、カチャリと、冷たい金属に手が触れた。
「獏良…お前まだこんなモン持ってやがったのかよ…」
 忌々しいものを見る目つきで、否、実際不吉な代物なのだが、その千年輪を掴み出すと、力任せに引き上げた。
 首に負担がかかる姿勢で上体を起こされて、バクラはズキズキ痛む掴まれた両の手を振りほどこうと暴れる。
 城之内が千年輪に関心を向けていた為、腕を掴んでいた左手の力が弛み、ようやく離脱に成功した。
 白い手首には、くっきりと跡がついてしまっていて、バクラは憎々しげに舌打ちをした。
「チッ…、相手が違うんじゃねえかァ?クソガキがよォ…」
 当面の問題は、コイツをどう無力化するかだ。
 体力では敵わない事は、癪にさわるが実証済みだ、やはり闇の力を行使するしかないだろう。
 肝心の千年輪は城之内の手の中で、能力がまともに発揮出来るか多少の不安はあるが、気絶させるくらいは出来るだろう。そうしたらあのぶっ壊れ目覚し時計にでも魂を放りこんでやろう。
 バクラは口の端に物騒な笑いをうかべ、高らかに処罰を宣告してやろうと口を開きかけた。
「食らいやがれっ!罰ゲーーーーー…!?!?」
…しかし。

「コイツ、邪魔」
 城之内は、一言そう吐き捨てると、スリでもさせたら天才的と言えるかもしれないさりげない動きで、バクラの首から淡く光を発し始めていた千年リングをするりと外し、ポイ、と無造作に投げ捨てた。
 バクラの見開かれた両目がぽかんとその軌跡を追う。
 ベッドから遠く離れた床に落下したそれは、悲しげに一瞬だけ光って、部屋の隅の暗がりに沈んでしまった。
 だが、バクラが呆けている間も、城之内はもくもくと攻略を続けていた。
 城之内を指差した状態で硬直していた右手を掴み、本日何回目かもう分らないが、ワンパターンにバクラを押し倒すと、ボタンが飛びそうな勢いで、シャツの前をはだけた。
「ぎゃあァ!! いいかげんにしろよテメェェ!!」
 素肌が晒された寒さで正気に戻ったバクラは、今自分が置かれている状況を分析し、わずかに蒼ざめる。
 マインドが入れ替わった状態で千年リングを外されると、入れ替わることも出来ないし、勿論闇の力も使えない。つまり、この貧弱な身体ひとつで、体力バカな暴漢に太刀打ちしなければならないということだ。
 これまでの格闘で、情けないが、結構な体力を消耗してしまった。無闇に暴れて、体力が底をついてしまえば、一たまりもなく食い散らかされてしまうだろう。それは困る。
 ここは、おとなしくして油断させたところで、喉笛を食いちぎってやる、よし、それでいこう。
 しかし、城之内は、仰向けに転がったバクラに馬乗りになった姿勢のまま、まじまじとバクラの肌蹴られた身体を凝視していた。
 不審な行動にバクラは眉をひそめる。何だか落ちつかない上、だんだん腹が立ってきた。
 この身体は俺のモンだ、気安く見せるのはもったいない。
「ジロジロ見てんじゃねぇよ、気色悪イな…。やんねえんならとっととどけよ」
 イライラと声をかけると、城之内は、視線は動かさずに、ぼそりと独り言のように、短く言葉を発した。
「………胸がねぇ……」
「あっっったりまえだァ!!!!!!!!」
 また呆けそうな気分になったが、今度は間髪入れずに返してやった。
 大声を出したせいで、また息が上がってくる。本当に体力のない身体だ。
 城之内は、さっきまでの無表情とはうってかわった情けない表情で、ハア〜と大きくため息をつきながら、バクラの胸にぼてっと頭を置く。硬い。
「……なんでそんな可愛い顔してんのに……ねえんだよォ……」
 そう言うと、またため息をつく。バクラの額では血管がぴくぴくと震え始めていた。
 この阿呆男が次に何か言ったら、即刻頚動脈を噛み千切ってやろう。ついでに目ンタマとキ××マも潰して、仕上げに頭蓋を叩き割って、腐れた大脳辺縁系を抉り取って、その辺の野良犬にでも食わせてやろう。
「なあ……獏良……」
「………なんだ…」
 これがテメエと交わす最後の言葉だ、逝っとけ、城之内克也。
「…オレ………お前が好きだ………」
「…………………………。」
 ……本当にさっきのが最期の言葉になるかと思った。
 外見的に真っ白なバクラは、思考までもが真っ白に昇天しかけた。今死んだら天国に逝けるかもしれない。
「…でもさぁ……やっぱ、マズイだろ……?いくら可愛くても……杏子なんかよりよっぽど大人しくても…、どんだけ料理が上手くても………、お前も、オレも…男、なんだもんなあ………」
 バクラの首筋に顔をうずめ、泣き言のようにぼそぼそとうめく城之内。
 急速冷凍状態から半分くらい解凍された頭の端で、バクラはぼけっと城之内の告白を聞いていた。

 よくよく考えてみると、コイツも大概哀れなヤツだ。
 男なんぞに惚れちまったのも不幸だし、その相手が恋愛感情欠落症の宿主なのは、同情に値するくらい不幸だと思う。
 さらに、酔った勢いとは言え、告白して、あまつさえ押し倒している相手が、実は想い人でないというのも、馬鹿さ加減に涙が出そうだ。
 そしてなにより、男に押し倒されて、人違いで愛の告白なんぞされて、その上のっかられたままグチられてるなんて……なんて可哀相なんだろう…オレ様。

 厭世観にどっぷり漬かって男二人。
 すっかり意気消沈のバクラは、城之内に乗っかられたまま、息を吐き出した。どっと疲れてしまった気分だ。
 呼吸をした際、細い首筋が上下した。目を閉じて、脱力していた城之内がその微かな動きに目を開き、のそのそ這い上がりバクラの顔を覗きこむ。
 バクラも視線を城之内の動きにあわせて上向かせる。気落ちした淡い瞳と葛藤する焦茶の眼がかち合った。
「けど……けどさぁ…」
「あん……?」
 まだ愚痴り足りないらしい酔っ払いは、目線を泳がせながら続ける。
 絡みの次はグチか。もう酔っ払ったコイツの世話は金輪際御断りと心に固く誓った。
 城之内と付き合いの長い本田あたりは、ひょっとしてコイツの酒癖の悪さを承知の上で、ほったらかしてさっさと帰ったんじゃなかろうか?もし本当にそうなら今度とっちめてやろう。ついでに誓った。
「…ほら、遊戯にさ…この前相談したんだよ……、あ、もうひとりの方な……」
「へえ………」
 そこはかとなく嫌な予感が掠めた。
 闇の方の遊戯は、記憶はなくとも腐っても王。恋愛に関しては非常に積極的、というか、自己中心的、というか、節操がない、というか下半身直行型、というか……。

 以前一度だけだが、こんな場面に出くわしたことがあった。
 放課後の理科準備室で、人体標本見本だとか、ホルマリン漬けの臓器だとかを眺めながら、優雅なティータイムと洒落込んでいたら、隣の理科室から、微かだが争うような声が聞こえてきたのだ。
 不良共がリンチでもしてんのかなァ、血が見れるなら大歓迎だから、ちょいと覗かせてもらおうと理科室に続くドアの隙間から盗み見たら……。

 そこで繰り広げられていた場面に、手にしていた缶紅茶が滑り落ちるほどぎょっとした。
 そこには、床に座り込み上半身を壁に預け、息も絶え絶えに喘ぐ、某大手玩具メーカーの若社長と(プライバシー保護の為匿名。オレ様親切)、ニヤニヤとせせら笑いながら彼を玩んでいる、遊戯王がいた(この通り名は伊達じゃねえのな…そりゃあもう昼も夜も)。
 フラスコキラキラする理科室で擦り合って熱くするのは、冷たい手だけで勘弁してくれとバクラは痛感した。
 一体全体ナニを擦って熱くしているのだ?この暴君は。
 縛り付けているとか、痛め付けてる、という暴力的な犯し方をしていた訳ではなかったが、少なくとも和姦には見えなかった。
「ゆ、遊戯……、もう…やめ…っ! あぁっ…」
「なんだって? よくきこえなかったなぁ…? ああ、でもあんまり大きな声あげると、準備室の先生に聞こえちまうかもしれないぜ?」
 遊戯王がちらりとこちらを見る。ただのハッタリで言ってみただけのようだが、バクラの心臓は跳ね上がった。これ以上心臓に悪いものをみせられたら、急性心臓発作を起こしそうだ。ずっと鼓動がバクバクしている。
 社長もはっとしてこちらを向き、自らの手の平で口をふさぐ。泣き濡れた美人の顔は、また別の意味でどきどきした。
「そろそろ……いくぜ…?」
「やぁ……、んっ!!う…!」

 ………元気のシャワー、君に注いであげる……、か…。
 しかし元気なのも限度があるんじゃねえのかい、王サマよ?てめえのソイツは最早暴力だぜ?
 じきに、呑気に鑑賞する気もなくなリ、居たたまれなくなって、見るのをやめた。
 それでも声だけは聞こえてきて、気を紛らわす為、細胞標本のプレパラートでピラミッドを作りながら、ヤツらがいなくなるのを待っていた。理科室を通らないと、外に出れないのだから困ったものだ。
 それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。
 隣の部屋から泣き声が聞こえなくなり、部屋から二人がいなくなる頃には、プレパラートの墓標は膝くらいの高さにまでそびえてしまった。新記録だったが、喜ぶ気にはならなかった。
 理科室に出て見ると、何だかヤツらのいたあたりの床がテカテカしてるわ、ナマっぽい匂いは漂ってるわで、放っとくかどうか迷った末、結局掃除して帰った。
 この日ほど、宿主に植え付けられた反射性清掃衝動を恨めしく思った日は無かった……


「……、で、遊戯が言ったんだよ…」
「あ」
 脳味噌のメモリーに保存しておくのも躊躇われる思い出を回想していたバクラは、城之内の声に現実に戻る。そうだ、問題は暴君と社長でなく、今現在のコイツと自分の状況なのだ。
「遊戯はさ…、お前知ってた? …海馬の事が好き、なんだよな……」
 知ってたよ、と答えるわけにも行かず、そのまま城之内の声に耳を傾ける。
「でさ、同じ悩みを持つ者として、遊戯はどうしたんだ?って聞いたんだ…」
 地獄の釜を自ら開けるとは、愚かなヤツだ、城之内克也。
「…遊戯はさ…、あのムカツク傲慢で高飛車な海馬をさ…口説いて口説いて、拝み倒して、それでもあのワガママ野郎が答えてくれないんで、無理矢理押し倒してモノにしたんだって…」

 それは半分嘘だ、とバクラは思った。
 海馬と同じくらい、ひょっとすると上回るくらい傲慢で高飛車で我侭でついでに強引なあの暴君が、マメに口説いたり懇願したりなどするはずが無い。おそらく、コクってみたが相手にされず、力ずくで強姦に走った、という方が真相に近いと予想した。きっと外れていない。
「でも、遊戯がさー…、『あん時はちょっと強引だったけど、今ではすっかり両想いになれたんだから、時には強引さも必要だぜ』、って……」
 …遊戯と社長が両想いとは、そいつは初耳だ。一大事だ。
 てゆうか、テメェが原因だったのか、恨むぜ王サマ…。
 テメエのイカ臭え恋愛感を、純な男子高生に押し付けるのは、そりゃ犯罪ってモンだぜ。間違ってもラジオの「悩み相談コーナー」のDJだけはしないでくれよ。全国で強姦事件が急増したら、アンタは間違い無く教唆犯人だ。

 色々思うところはあったが、残念ながらぶちまけるべき相手が目の前にいない。
 仕方ないので、うんざりと城之内に視線を向けた。いつのまにか城之内の顔からは、憂鬱そうな表情は消え、眼は狂信的とも呼べる光でギラギラしている。直感的にヤバイと思ったが、生憎身動きがとれない。バクラは冷や汗が額を伝うのを感じた。
「…まだ、酔ってんのか?」
「酔ってねえよ」
「…オレの名を言ってみろ」
「獏良」
 やっぱり酔ってんじゃねえかいい加減気づけバカ野郎、と言い返す間は与えられず、唇を奪われる。生温かい感触が気色悪い。
 口をこじ開けようとしてくる不躾な舌を噛み切ってやろうと、食いしばっていた歯を開いたが、器用にかわされた。逆に、半開きになった口に侵入され戸惑いに反応が遅れる。力任せにギチギチと顎を掴まれ、痛みに眉間に深い皺が寄った。
「うえ……は…、はっ…」
 開かされた口から零れた唾液を伝うように、不快感しか与えない舌が顎から首に移動していく。鎖骨と首の隙間に吸い付かれた時、気持ち悪くて鳥肌が立った。
「…いい加減にしろ! こっの…やろ…!」
 随分前に発案した城之内謀殺計画のことなどすっかり忘れ、今は手当たり次第に城之内の荷重から逃れるべく、胸に顔を寄せている血のついた頭をぽかぽかと殴る。しかし、城之内の頭は相当な石頭で、あまり効果は無いらしく、愛撫の動きは止まらない。
 そうしているうちに、すっかりバクラの息が上がってしまった。無論快感からなどという甘美なものでは無い。むしろマラソン後の眩暈がするような疲労と言ったほうが近いだろう。
 勝手に暴れてぐったりとしてしまったバクラが抵抗しなくなったのに気を良くし、城之内の手がバクラのズボンに伸びる。
「!!」
 マズイ。これ以上はヤバイ。まさかこの手の早さは遊戯王直伝などどいう恐ろしいオチが待っているのだろうか? 冗談じゃない。全くもって洒落にならない。
 城之内の手に必死で爪をたてて抵抗するが、引っかき傷をつける事くらいしか出来ず、腕を掴まれ身体をうつ伏せにされる。
 くっきりと手の跡がついたままの手首には大して力が入らない。また少し捻られた。
 コイツといい、忌々しい王サマといい、ついでにうちの宿主といい、最近の男の性風俗はどうなってしまったのだろう。ゼロか百かの極地野郎共に振り回される方はたまらない。
 腕を片手で捕われたまま、開いたほうの手でジッパーを下げられた。
 枕に顔を埋められているため、視覚では確認できなかったが、外気に晒され冷やりとした感覚が、触覚を介して伝わる。イヤダとつぶやいた声は、柔らかい羽毛に吸収され、自分の耳にも伝わらない。

 正直言ってどうしようもない危機的状況だ。三千年の経験を総動員しても、有効な手立てが見つからない。尤も三千年間の間、肉体所有期間など、大昔人間だった頃の十数年を抜かせば数年も無い。
 相性の悪い他人の身体に留まるのは、この上なく不快だし、抵抗されれば苦痛すら伴った。その都度焼き殺した人数は、もう何人かなど知らないし、初めから数える気も無かったが、おそらく1年の日数よりは遥かに多い。
 そんな連中と同じように、コイツも消し炭にしてやりたいが、ただの肉になってしまった今の自分にそんな力は無い。
 他人の心に侵入するのは不快だが、自分の身体を蹂躙されるのはさらにどうしようもなく苦痛だった。
「ッ!!いっ、痛ッ…!!」
 城之内が体内に侵入してきたらしい。死にそうな激痛に枕を必死で抱え込んだ。
(前言撤回!!ぜってえ王サマ仕込みじゃねえ!!あのクソッタレはギリギリまで焦らすオヤジ野郎だ!!畜生あのファッキングめ〜〜!!要らねえ事吹きこむんなら、ついでにセックステクも教えとけ!!)
 目を固く閉じていると、瞼の裏に忌々しい闇の遊戯の顔が浮かんだので、思い付く限りの罵倒を浴びせてやった。何か、何でもいいから他の事に意識を向けていないと、痛みに引きずられて気が狂いそうだ。
 視界に侵略者の姿を捉えられないというのは、かなり都合が悪い。次動作の予測がつかなくて翻弄されるのは、屈辱と言うより、もっとダイレクトに言うなら、苦痛への恐怖感。
 目隠しをされて、銃弾の飛び交う激戦地に放り出される心境だ。それも、手錠と足輪の拘束付きで。
 逃げ惑うことすら出来ない戦場で、あと出来る事といったら、神に祈りを捧げることくらいだろうか。
「ゥ…アぁ、っく、クソ…っ」
 そういえば、と、苦痛に喘ぎながら薄っすら思い出す。そういえば、自分が生きていた時代には、自分が暮らしていた国では、皆、死後の永遠を信じていた。
 もし、自分のこの三千年の半死半生が、その永遠とやらなら、ラーもオシリスも嘘吐きだ。

 時々途切れそうになる意識を、引き裂かれる痛みがどうにか留めている。
 枕に押し付けていた顔を振った時、枕が妙に湿っているのに気がついた。汗かと思ったが違った。
 それは自分の頬をも濡らしている。絶えることなく、両眼から零れ落ちる液体が涙だったと気づくのに、大分時間がかかってしまった。
 三千年前、まだ人間だった頃、自分は涙を流したことがあっただろうか? …思い出せない。
 ふいに、毎朝鏡で見ている宿主の顔が浮かんだ。
 アイツが泣いているのも、そういや見たことがない。あの零れそうに大きな目は、きらきらと潤んでいても、決して涙を流しはしない。
 嗚咽を飲みこんだ時、ふと浮かんだのは宿主に対する微かな罪悪感。
 痛くて泣いてるんだか、情けなくて涙がでるのか、もうよくわからないが、幸い意識が途絶えてきた。
 そうして獏良の身体から力が抜けた。





 目覚めた城之内は、柔らかなベッドに寝転がったままぼんやりと天井を見ていた。

 その天井が、見なれた薄汚れた木目の天井でなく、清潔な白亜の壁紙だった為、訝しげな顔になる。
「…ここ、は…?」
 ゆるゆると上体を起こそうとした時、頭部に鈍痛を感じる。さすってみると、たいした事は無さそうだが、小さなこぶが幾つかできていた。手を見ると、固まって髪にこびり付いた赤黒い血が付着している。
「???」
 まるで喧嘩でもした後のような有様に、謎がどんどん深まる。
 まず、ゆうべの出来事から思い出してみようと記憶の糸を手繰り寄せることにした。
(夕べ…夕べは、飲んだんだよな?うん、獏良ん家で…。で…で?あれ??)
 記憶が無い。
 獏良の家で皆と飲んで騒いで、というところから先、記憶が全くあやふやだ。
 城之内は、髪を乱暴な仕草でぐしゃぐしゃと掻きむしる。そういえば、自分は飲みすぎた次の日の朝はいつもこうだ。記憶はなかったが、朝起きて、喉がカラカラで、頭がズキズキするのは、夕べ泥酔した証拠だ。
 頭が痛むのは、こぶのせいもあるだろうが、概ねは二日酔いの頭痛だろう。
 まさか、へべれけに酔っ払った帰り道で、不良共と喧嘩したとか、転んで電柱に頭をぶつけたとかで、意識不明で病院に運ばれた、なんてのじゃあるまいな?不吉なビジョンに悪寒が走った。
 何か、とてつもなく不吉な何かが夕べ起こった気がしてならないが、肝心なところで霧にまぎれたように思い出せない。イライラと頭を抱えていたら、突如バタンという音が響いた。

「おはよう!城之内君」
「!!!!」

 うつむいて物思いにふけっていたら、突然明るい声で話しかけられ、思わず身体が跳ね上がった。
 急上昇した鼓動が二日酔いの頭にこだまして、ガンガンする頭で声の主を恐る恐る見上げた。
「ば…獏良?」
 情けない程上擦った声で、ドアを開けて立っている柔らかい笑顔の美少年の名を呼ぶ。
 彼がいるということは、ここは彼の部屋なのだろう。路上で意識不明の危機が回避され、ほっとして息をついた。
 エプロンをして、長い髪をひとつにまとめている姿なんて、そこいらの女の子より可愛らしい。開いたドアから美味しそうな芳香が漂ってきて、城之内は今朝初めて幸せな気分になった。

「物音がしたから、城之内君起きたかなって思ったんだ。もうすぐ朝ごはん出来るから、待っててね」
「あ、ああ、悪いな、迷惑かけちまったみてえだし」
「ううん、それより城之内君、頭大丈夫だった?ベッド二人で使ったから、落っこちちゃったみたいなんだよね〜。僕も落ちたみたいで、起きたら腰とかズキズキしててさ〜」
 やっぱり僕は床で寝るべきだったね〜、と、屈託なく笑う獏良につられて、城之内も笑いをこぼす。
 よかった。夕べは酔っぱらったけど、獏良ン家でグースカ寝込んでただけみたいだ。
 夕べは獏良の家から出ていないみたいだし、さっきの不吉な予感は、ただの思い過ごしなんだろう。

 まだドキドキしている心臓に、何でもなかったと言い聞かせ、布団を捲くった瞬間、折角収まりかけた鼓動が、先程の比でなく跳び上がった。
 何故なれば、裾の長いTシャツに隠れて露骨には見えなかったが、ズボンが太股の半ばまで下着ごとずり下がっていたのだから。

「あれ?どうしたの城之内君?」
 布団の中を覗きこんだ姿勢で硬直している城之内に、獏良がとことこと近づいてきた。慌てて布団を引き上げ、ごまかすように引きつった笑みを浮かべる。
「あ、もしかして、布団の中に僕の服でもあった?」
「え?」
 思いがけないことを言われ、しかし、獏良の服があったかどうかなど分らないのでとっさに聞き返すと、獏良は少し眉を寄せ、思い返す素振りをみせる。
「うん、夕べ、お酒入ってたでしょ?だからあんまり覚えてないんだけど、僕、結構暑がりだからさ、二人で寝てたの暑かったみたいで、無意識に服脱いじゃったみたいなんだよねーー」
 のほほんと、あくまで楽天的な獏良の声に、城之内は心臓に氷水をぶちまけられたような衝撃を味わった。記憶にかかっていた霧が少しずつだが晴れていく。夕べ、どうやら本当によからぬ出来事が起こったらしい。

 そういえば、獏良は腰が痛いと言っていた。

 晴れていく記憶と反比例して、城之内の心には、急速に暗雲が立ち込めてくる。
 獏良の言葉は、嵐を呼ぶ稲妻だ。
「あ、城之内君!」
「!! な、何!!??」
ピシャン。
 また稲妻が落ちた。今の城之内は、だんだん近づいてくるそれに怯える小さな子供だ。
「城之内君は蚊に刺されなかった?大丈夫だった?」
「え?蚊??」
 今は暑い季節だ。たしかに蚊はいるだろう。城之内も、自宅ではクーラーがなくて窓を開けて寝るので、暑いし、蚊はうっとうしいし、朝起きると全身に蚊取り線香の残り香が染み付いていて、それでもどこか刺されていて、寝覚めの悪い朝をむかえることもしばしばだ。
「夕べほとんど裸で寝てたらさー、胸とか結構刺されちゃってさーー、ホラ」
 グイ、と、襟元を引き下げた隙間からのぞく獏良の胸を見た途端。その瞬間、確かに城之内の心臓は動きを止めた。
 首筋とか、鎖骨とかに、赤い斑点が散らばっている。それは、獏良の雪みたいな真白い肌の中で、とくに目立って存在を城之内に付き付けて来る。

 でも大きさの割に全然かゆくないんだよねーー、と、相変わらず無邪気に微笑む獏良の声はもう耳に入らない。
 何時の間にか握り締めていた手の平がじっとり汗ばんでいた。カラカラの喉に、粘ついた唾液が絡んで気持ちが悪い。
 獏良の肌蹴た胸元から微かに覗く、鈍く光る金色の千年輪。その真中あたりにある眼をかたどった紋章。
ソイツが自分をじっと見つめている気がした。

 城之内の心の暗雲は、最早嵐になっていた。




  〈END…〉
初稿>2001秋
微修正>2005夏

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