【リング】
BAKU×BAKU
 1:


「人が倒れてる」


 学校からの帰り道。
 バス停をはなれてすぐの道路際で、宿主は不意に立ち止まった。

 十数メートルほど先だろうか。
 歩道と車道を隔てるガードレールの車道側、そこに寄りかかるようにして、黒っぽい人影。
 宿主はやや速度を速め、動かないその人影を気にしつつ進み、しかし数メートル手前で再び足を止めた。

 移動を停止した宿主の横を、他の帰宅の学生が何人か通り過ぎていく。

 その人間の背格好が判断できる距離まで来て歩みを止めた宿主に、ああ、またか、と思う。
 わずかにのたうつように転がるその男は、右の足、膝から下は、捩り切れた様に消失していた。
 腕も、いかれた方向を向いているが、どうにか起き上がろうとしているのだろう。
 強張った指で、がりとで引っ掻いたアスファルトに赤い指の跡がつき、ほんのすぐの時間で消えた。

 遠くから、微かに迫る自動車の排気音が聞こえる。
 うつぶせに倒れたままの男の耳にも入ったのだろう、もがく動きが慌てる様に大きくなった。

 のそり。

 それの、血まみれの指が白いガードレールにかかる。
 また、学生が数人で笑いさざめきながら、動かないままの宿主を追い越していった。

 宿主は、学生服の一団を眼だけで追い、微かに息を吐くと、ちらりと男をみやる。
 地面を振動させながら、貨物のトラックがもうすぐ後ろまで迫っている。
 必死に這い上がろうとしているその男は、血飛沫を散らしどれだけもがいても、ガードレールからこちらに手を伸ばすことができないまま、がくがくと震わせながら頭部をもたげてきた。
 うずくまっていたときは解らなかったが、それは、学生服の少年だった。
 顔の半面はすでに原型を留めておらず、残った片目で宿主を―――俺を見上げている。
 血と、内容物の混じった反吐を吐きながら、既に音声を紡ぐことの出来ない口が何やら単語を刻む。
 何かを、伝えようとしているのだろう。恐怖と焦りがまざまざと浮かんだ瞳を見れば、言葉を解さずとも意図するところは知れたが。

 宿主は、それの顔を見ないように、ふいと顔を背け、何事もなかったように歩き出した。

「無理だ」

 一言発した直後。


 ぐしゃっ。

 背後から響いた生々しい壊滅的な音と、臨終の恐怖の滲んだ絶望の叫びは。
 これも宿主にしか聞こえていないものなのだろう。
 真横を、トラックがディーゼルの黒煙を撒き散らしながら走り去って行った。

(明日は…進路を変えよう)

 宿主はそれだけ思い、小走りに角を曲がる。
 地面を掻く音は、そこで途絶えた。






―――ねえ、おかあさん。

―――人が倒れてる。 ほら、あそこ。救急車よんであげようよ。
    ……ほんとだよ。血がでてる。
   
―――どうして? 死んじゃうよ。

―――ねえ…






 マンションの自室に帰りついた宿主は、まず学生服をハンガーにかけると、だるそうにソファーに沈み込んだ。
 額に手を当ててしばらくの間そうしていたが、突然ぼそりと呟きを上げた。
「……きみのせいだよ」

 君。
 宿主が一人きりの際に発する、その二人称は、宿主から俺への呼びかけの言葉だ。
 俺は返事をしない。
 宿主の呼びかけはいつも唐突で、俺はすぐに意図を飲みこむことができないので、返事を返すこともしない。
「また、だんまり?」
 宿主は心底不満そうだが、突然言われの不明な責任追及を突きつけておいて、何の返事を期待しているというのだろうか。
 とりあえず、俺に答えを返す必要も義理もないし、第一出題が不十分では答えたくても答えられない。
「君が来てからだよ…あいつらが僕を見てくるようになったのはさぁ…」

 君、あいつ、僕。
 代名詞の羅列ではあったが、推論的に意図は読めた。
 だが、

「…なんもしてねえぞ、俺様は」
「嘘だ」

 即効で棄却された。
 ならば、その根拠は何処だ?

「僕はさぁ、確かに昔からああいうものが見えたりもしたんだけど…。でも、あいつらは決して僕を見はしなかったんだよねぇ…」
「元々十分異常じゃねえか」
「君に言われたくないよ人外」
「…へいへい、悪うございましたね人間様」

 そう、
 この宿主…獏良了と付き合い始めてからもうだいぶ立つが、こいつの目はどういうわけか、生き物以外のものも写してしまう仕組みをしていた。

 そこに無い筈の、在るもの。
 こいつの淡く透き通った瞳は、それを否応無しに認識するのだ。

 いつか宿主は言っていた。
『ぼくには生きてる人と死んでる人の区別がつかない』、と。

 時折、例えば遊戯達と過ごす休日。
 道の先のほうに、ふらふらと、決まった足取りを持たない通行人をみることがある。
 ここで、宿主は警戒の兆しを見せる。
 もし宿無しの浮浪者の類であったなら、遊戯たちも軽く目をそらしたり、白々しく見なかったふりをするから、宿主の警戒はそこで終わる。
 だが、
 浮かれた城之内の夢見がちな展望に相槌や横槍を入れつつ、かの人物を通りすぎると。
 すると、決まって、陰影を持たぬ、人の形をした人とは呼べないものなのだ。

 いつかの宿主は、こう続けた。
『まあ、別にどうってことはないんだけどさ。僕はちょっと、他の人よりも通り過ぎる他人の数が多いってだけの話だからね』
 生者か死人かの違いが有るだけで、宿主にとっては同じ通りすがりの他人というカテゴリーの住人に変わりはないのだろう。
 それが、忙しく駅へと急ぐサラリーマンか、衣服の下から臓物をはみ出させて虚ろに佇んでいるかの違いだけで。


「…だってさあ〜、最近やけに目が合うんだよねぇ。はっきり言って困っちゃうよ。助けてって言われてもさぁ…ねえ?」
「恨むなら自分の特異体質だろ? それが嫌なら目隠しして歩きな」
 出来ないと判っていて冗談で返したら、おもしろくないよと突っ返されたが承知の上だ。
 宿主はごろごろとソファを転がり、手持ち無沙汰にクッションを責める。
「だからー、君のせいだって言ってるんじゃん。…ちっちゃい頃はさー、僕しか見えてないなんてわかんなかったから結構話しかけたりしちゃってたんだけど、まずまともに返事なんかしてくれないもん、ああいう人達ってさ。でも君と出会ってからこっち、向こうから話しかけてくるんだよ? 僕に言われたって、ただの平凡な男子高校生なんだからさ〜〜。困るよ〜なんとかしてよ〜」
「生憎と俺様もただの平凡な盗賊なもんで。なんとかしろって言われてもねェ?」
「平凡? どの口がそんなこというのさ、大体口もないくせに。今度話しかけられたら返事してあげなよ。きっと友達増えるよ?」
「顔面のへしゃげたダチなんかいらねえな。テメエこそにっこり笑って握手してやれよ。彼女出来たら紹介しろよな」
「…水膨れした20年前の女子高生なんて話題あわないから御免だね」
 切りの無い冗談口の平行線は、結論を求める論議ではないから、宿主の含み笑いで打ち止められた。

 ゆるゆると座りなおし、首から下げた千年リングをおもむろに掲げると、つまらなそうにぶらぶら揺らす。
「…そりゃさ、今日みたいな地縛霊なら無視するだけだけどさー…、変な浮遊霊にでも気に入られちゃったらどうしてくれんのさ、僕の基本的人権とプライバシー」
「なんだそりゃ?」
「人外の君には関係無い物。もし来ちゃったら人外同士でお話して追い返してよ。似たようなモンでしょ」
「似てねえ似てねえ」
「根拠は?」
 それはむしろこっちが聞きたい。
 反論したい局面だが、こいつは頭から俺を非人あつかいして言論の自由を認めてくれないので、しぶしぶ返答を模索した。
「…ほら…こーやってテメエと話したり出来るし…、テメエが寝過ごした朝は身体のっとって起こしてやれるし…」
「そんなのただの念話と憑依じゃない。エラそうに」
「…ただのって…、テメーコラ、ちゃんと考えてるんだぜ?聞けよ」
「それだ」
「は?」

 否定されたり肯定されたり、結論までの道程の洞察に悩む論説は、いつものことだがついて行けない。
 宿主は俺をしげしげと眺めたまま、ふむ、と口を開く。
「僕の長年の研究によると、…霊は思考しない。未来を想定できないからだと思う。それと、学習能力も無い」
「そらまたエライ研究結果で」
「それと皮肉も言わないねぇ」
「…悪かったな」
「謝ったりもしないしね」
「何が言いてぇ?」
 宿主はあははと笑っていたが、ふいに俺をじっと見つめた。
 結論を求む眼差しに、俺は少しだけたじろぐ。

「君は、なんなの?」

 出題。
――俺は、なんなのだろう。
 宿主に認可された思考能力を繰って考えるが、満足に得る結論は提示できそうにもなかった。
 記憶を持ち、意志を有し、思考を巡らす、俺は。
 一体。

「……見ての通りのもんですが」
「見てわかんないから聞いてるんだよ。ちゃんと考えたの?」
「見て判らん奴は聞いても判らーん」
「僕を馬鹿とでも言いたいの? …なんなら君を懇切丁寧に解体して真相究明してもいいところなんだけどね僕は。馬鹿だから元に戻せなかったら御免ねぇ?」
「…住所不定の無職、前科多数。現在町内高校生獏良了宅に居候中ゥ。…駄目?」
「不祥なのか偽証なのか判断に困る答え返さないでよ。…まあ、今日はもういいよ」

 宿主は諦めのため息をついて、喉でも乾いたのか台所を目指す。
 その時洩らした一言が、うんざりしていた俺の心に響いた。
「たださ…、もし君がいわゆる幽霊だったら、僕には君の顔が見えたのにな、って思っただけさ」
 宿主のやや沈んだ口調。
 もし、俺がいわゆる幽霊だったら、その、おそらくは残念そうな表情を見ることが出来ただろうか。
 宿主の視界と俺の視界は同一だから、自分も宿主の顔を見ることは適わない。
――少し、残念。
 何故だろう。
 俺の中の否定的でない部分が、少しだけ、そう思った。


 冷蔵庫から取出したジュースをグラスについで、宿主は部屋へと向かう廊下を進む。
 その間、俺の中でさっきの問がぐるぐると出口を求めてさまよっていた。
――俺は、なんなのだろう。
 俺の生きてきた時代、住んでいた世界には、宿主の言うような幽霊という認識は無かったし、俺自身は宿主のような特異な視界を持ち合わせていなかったので、彼の言うような分析も判断も手に余る問題だ。
 ひとつ、疑問が生まれた。
 どんどんわだかまる疑問は、これもきっと答えが見付からない類の問なのかもしれない。
――宿主――獏良了、は、
 お前は、一体なんなんだ?



 部屋のドアを開けたところで、宿主は立ち止まった。
 夕暮れ過ぎの室内は暗い。
 蛍光灯を付けて中に入るかと思ったが、宿主は不動の姿勢で立ちすくんだままだ。
 宿主は部屋の奥の窓を、正確には、その外を見つめていた。
 俺には、始めは宿主が何故立ち止まっているのかわからなかったが、知れた瞬間あやうく声を出しそうになった。
 半開きのカーテンから覗く外の景色はマンションの上階であることもあって、黄昏の薄闇の空が見えるだけだ。
 日が沈んだといっても多少日の光が残っているのか、室内の窓付近だけを薄ぼんやりと照らしている。
 なまじ、陽光が残っているから見えてしまう。
 カーテンの向こう側、窓の上のほうに何か細長いものがぶら下がっているのだ。
 はじめ、上階の住人の洗濯物か何かが引っかかっているかと思った。
 だが、それは、風に揺られて、というにはあまりに不自然に、蠢いている。
 細長いそれの先端は、いくつかに枝分かれしていた。
 蠢いているのは……人間の、指だ。

「……おい…宿主…」
 自然と小声になって――と、言っても念話なのだが、気分の問題だ――、宿主に話しかけたら、やはり小声で返事が返って来た。
「…なに?」
「あのな…あれは、俺様の見間違い…か?」
「ヒトの眼球使っといて見間違いもないでしょ」
 にべもなく否定された瞬間、一本だった腕が2本になり、窓に貼り付くように垂れ下がった。
 宿主の部屋は8階の東の端だ。だから、ここの部屋の東窓の外は真ッさらな外壁になっている。足場になるようなものはないし、ましてや逆さまなど、上の部屋から宙吊りにでもしない限り不可能だ。
――そこに、人影があるのだ。

 宿主の手の中で、オレンジ色の液体がゆら、と揺れた。
「…散歩中かな」
「随分おかしな経路だけどな」
 そろそろと、こちらも窓から視線を動かさずに移動し、ジュースをデスクに置く頃には、窓の外の人影はずるりと頭をのぞかせていた。
 そこで一旦動きが止まった。逆さまに窓に両手をついて、ぴくりとも動かない。
 それは、俺達と同じように、室内の様子をうかがっているように見える。

「…見てるよ」
「判ってる」
「入ってくる気かな」
「さあ…窓は閉まってんだろ?」
「……」
「…おい?宿主?」
 宿主は返事をしない。
 無言の宿主は、凍り付いたように窓から視線を動かさない。
 何もそんなにじっと見つめていなくてもいいのにと思う。

「……夕べ、フィギュアのペイントしたよね」
 ぼそ、と口を開いた宿主の言葉に、話しの繋がりが読めず、ああ、とだけ返事をする。
 デスクの上には、乾燥の為に置かれたままのフィギュアと、夕べ使ったままのスプレー缶やらが無造作に散らかっている。
「…それで、換気で窓開けてたじゃない…」
「……ああ」
 嫌な予感がした。
 夕べ遅くまで作業していた宿主の姿を思い出す。確か宿主は、夕べは換気の為に窓を開けたままで寝てしまった筈だ。
「…で、もし君が今朝、気を利かせて戸締りしてくれたとかじゃない限り――」
「…悪ぃ、俺様そこまで家事管理責任持てねぇ」
「じゃあ…」
 開きっぱなしだ、と言葉にするより早く、
 窓の外の人影が、再び、動いた――。
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