【リング】
BAKU×BAKU
 2:


「…なあ、どうする。今に入ってくるぜ?」
「困ったね…この部屋に居座られちゃうと今夜就寝できないだろうし…」
 室内に入り込もうとしているらしい窓の外の不審人物を見つめ、宿主は割りとのんきにつぶやいた。
「入ってこられたら困るなぁ…。ねえ、追い返してくれない?」
「…なんで俺様に言う?」
「泥棒でも幽霊でも君の仲間みたいなもんでしょ。頼んだよ」
「…テメエ、一年に平均で窃盗事件が何件起こってるか知ってんのかァ?」
 みんな俺の仲間とでも言う気か。それはまた知らない間に随分と友達が増えたもんだ。

 そうこうしている間に、窓に貼り付いていた人影は、半開きになった窓から室内に落ちるように転がり込んできた。
 どさりと音のしそうな勢いで落下したにもかかわらず、何の振動も起きなかった。
 落下しても音を立てない、50キロはありそうな質量。これはもう、泥棒の類とは考えられない。
 泥棒――人間ならば、俺ならどうとでも出来るだろうが、果たして死霊相手にどこまで有効なのだろうか?
 人形に魂を宿すいつもの罰ゲームを食らわせてみてもいいが、そもそも霊って奴は自発的に人形に取り憑いたりすることもよくある話らしいし…。
 外の日はもうほとんど残っておらず、室内は闇に閉ざされてしまっている。
 おぼろげな輪郭から、男だということが見て取れた。
「あれ…このひと…」
 這いつくばって動かない男を見て、宿主が声を上げる。
 言われてよくよく見れば、這いずるような動きしか出来ないらしいその男には右足がなかった。
 その外見的特徴…、確かに俺にも見覚えがある。
 あの道路際からここまで、随分と非常識な道順を介してやってきたものだ。
「…地縛霊とか言っといて…全然浮遊霊だったじゃねえか」
「んー…、身動きが取れないように見えたから、てっきりそうかと思ったんだけど…身体が不自由なだけだったんだねぇ…」
 あいかわらず緊張感のない口調で、霊に対して随分と人間染みた感想をもらす宿主には、成程、確かに生者と死人の区別はないらしい。
 この分では、電車の車内で身体の不自由な(?)霊でもみかけた日には、「どうぞ」とか言って席を譲りかねない。
「…与太話してる場合じゃねえぜ宿主サンよ。このままここにいても仕方ねえんじゃねえの?」
「そうだね…、そろそろ夕ごはんの支度も始めなきゃいけないし…」
「………」
 困ったねぇ、と眉を寄せる宿主に、もういい加減何か言う気は起きなくなってしまった。
 危機管理意識の著しく低い宿主に代わって、せめてもの牽制と死体のように転がる少年の霊を睨みつけたら、顔は伏せたままで、瀕死の獣の様にずるずるとこちらに向かって這いずり始めてきた。
 流石にここまで来て、呑気に構えていた宿主も一歩後ずさる。
 俺もいつでも行動出来るように、意識を半ばまで宿主の肉体に同化させておく。危険対処の為の予防線だ。
 宿主のそろそろとした動きはあまりにゆっくりで、じれったさに苛つくが、背がドアに触れ、とんという音がした刹那、探る様に這いずっていた少年が、獲物を見付けた爬虫類を思わせる動きで、こちらを向いた。
 無音の室内。静まり返った空間。
 だが、俺は、その声を聞いてしまった。

(…―――みつけた…。)

 見開かれた俺の目を、片方だけの虚ろな瞳がまっすぐみつめ、奴の口元が、嬉しそうに歪む。
「…っ、出るぜ宿主!」
 俺の本能が逃げろと告げる。
 有無を言わさず身体の主導権を奪い取ると、振り返らずに部屋の外に駆け出して、叩きつける様にドアを閉めた。
 背から伝わるドンという音は、ドアの閉まる音だっただろうか?
 …俺には、奴が俺を追って、ドアにぶつかってきた音の様にも思えた。


「…ちょっと〜、ひどいじゃないか、いきなりのっとるなんてさ〜」
 ドアを中から開けられない様にもたれ掛かっていたら、深層意識に追いやられた宿主から抗議が飛んできた。俺は、少し上がった鼓動を押えながら、憮然と言い返す。
「ぐだぐだ抜かすんじゃねぇよ、テメエがもたもたしてっからだろグズが!」
「だって…何か用でもあって来たのかもしれないじゃないか」
「あァ? 住居不法侵入者の言い分なんざいちいち聞くのかテメーはよ?」
「そーゆーこと、言う? …一応言っとくけど、君だって不法侵入者なんだからね、身体の。ていうか、本当に君の知り合いじゃないの?」
「まだ言うかー? しらねえって言ってんだろーが」
 こうしている間も、部屋の中からは微かにドアを叩く音が聞こえてくる。歴然とした目的をもってドアを叩いてくるそいつは、確かに宿主の言う通り、俺か宿主に用があるらしいのは明らかの様だ。
「…だって、さっき『見つけた』って言ってたよ? あれ、君に言ったんじゃないのかな、たぶん」
「………」
 言われて、その声を思い出す。
 暗く、陰鬱な声色と、込められたはっきりとした意志。
 途端、ぞっとしたものがこみ上げて、背筋に冷ややかな悪寒が走るが、どうにかこらえて息を吐いた。
「…どうして、そう思う?」
「ん? 何が?」
「どうして、俺様に言った言葉だと思った?」
 根拠を尋ねたが、宿主から返って来たのは、何とも取り留めのない「なんとなく」と言う返事で、俺はイライラと舌打ちした。
 どうしてこうも苛つくのか。それの原因は、断言はできないが朧気には解る。
 …とても、認めたくない事なのだが、実は、俺も宿主と同じことを思ったからなのだろうか…。
 あいつは、”俺”を見ていた?

「ね、今思ったんだけどさ」
「…何を」
 あまり聞きたくもない予感がするが、無視すれば聞いてやるまでブツブツ文句を言ってくるだろうことは目に見えているので、渋々耳を傾ける。そうしたら、宿主は少し考えこむ風情を見せた後、順を無視して結論から言いやがった。
「きっとさ、君が―…君がいることが見えてるんじゃないかな」

 …全く聞かなければよかったと思う。
 ちっとも静まらない自らの心音を聴きながら、真に心臓に悪いのは、何よりもこいつの一言だと痛感するがもう遅い。
 今、この身体の主導権は俺にあるのだが、宿主に俺の思考が読まれているのではないかと思うほどに俺とコイツの見解は甚だしく合致してしまい、何だか俺の方が取り憑かれているような妙な気分になる。
「…チッ」
「あ、戻った」
 宿主がべらべら喋りさえしなければ申し分のない居心地のいい身体なのだが、今はどうにも最悪の居心地で、俺はさっさと主導権を手放してしまった。本来の持ち主に戻った途端、静まり始めた鼓動が憎い。

「ふう…、ずっとこうしてる訳にもいかないしねえ…どうしようか」
 宿主はドアに耳を当てて部屋の中をうかがっていたが、まだ中にいるらしい気配を察してため息をついた。
「テメエ、お祓いとかは出来ねえの?」
「線香焚いて十字架掲げてメッカに祈りを捧げてみようか?」
「…無理言って悪かったよ。テメエの信仰心には期待しねえ」
「ごめんね、お役に立てなくて。これを機に今度から除霊の研究でもしてみるよ。まかり間違って君が昇天しちゃっても恨まないでねぇ」
 にっこりと、笑いながら。
 顔は見えないのだが、それはそれは楽しそうな声の宿主が微笑みを浮かべていることは間違いない。
 人は、笑いながら、かつ邪悪でありえると、…つまりはこういうことなのか…。
 ひょっとすると、俺にとって一番の脅威はこの宿主なのではないだろうか?

「…あ、そうそう、さっきの続きだけどさ、多分ああいう…霊、っていうのかな、そういうヒトにさ、同類だと思われてるんじゃないの、君」
「…あくまで同分類にしてえんだな、テメエは」
「類は友、って奴じゃない?…そっかぁ、君が見えるんだ、あの人達には」
 宿主の言葉には、僅かにうらやむような響きが含まれていて、俺は怪訝に思って様子を見ていたら、宿主は首に下げたリングを持ち上げた。
「さっきも言ったよね、僕」
「色々言ってたが…どれだよ?」
「ん、君の顔が見てみたいな、って奴」
 さっき、という表現は随分とあいまいな時間形容表現だ。随分と前に聞いた台詞を持ち出されて、思い出すのに大分時間を食ってしまった。そういえばそんなことを言っていたか。
「…おかしなことを言うと思ったけどな。それがどうしたって?」
「あのね、僕ねぇ電話って嫌いなんだよね」
「…はい?」
 またコイツは意味不明な結論から先に口にする。
「だってさ、こうやって君としゃべっててもさ、君の声しか感じ取れないんだよね。電話で喋ってるみたいだなーって、そう思ったの」
 呟く宿主の声は、心底羨ましそうで俺はどうにも理解できない。
 少なくとも、無心に笑いながら剣呑な内容を口走る時の宿主の顔はあまり見たくないような気もする。
「いいなぁ…。僕も君と向かい合ってみたいよ」
「はぁ」
「…何、その馬鹿にしたような声は」
「してねえしてねえ。物好きだなって思っただけ」
「……ふーーん…。そう」
 宿主の声から笑いが消える。
 俺はどきりとした。ついでに、やはりその顔を見てみたいとはどうにも思えなかった。

「ねえ、バクラ」
 名を呼びながら、宿主は千年リングを首から外す。
 バクラ――名…、俺の、名前?

「オイッ! 何してるんだよテメェ!?」
 紐を持った宿主に、ゆらゆらと揺らされる。
 こうやって外されてしまうと、俺は宿主に干渉することが出来なくなってしまう。
 人の肉体を離れれば、俺はただの道具としての存在でしかないのだから。
 全く油断していた。どうやら俺は宿主の機嫌をすっかり損ねてしまったらしい。
「…ねえ、何にも出来ないバクラくん?」
 千年リング…、アイテムの中に封じられた俺には、視界はないし、音を聴くことも適わない。
 強いて言えば、リングに触れられたときの触覚は感じ取れるのだが、こうして紐でぶら下げられてしまった状態では、それすら遮断されてしまっている。
 俺が知ることの出来る情報、それは、視覚も聴覚も介さないで伝わってくる、人の意識という不明瞭な情報源だけ。
 その情報から視覚情報を再構築して、擬似的に状況を把握することも出来るには出来るが、一度人の意識を通して伝わるそれは夢や幻覚に近い存在で、容易く崩れたりすりかわったりするので、俺には現実世界を完璧に把握することは出来ないのだ。
 何にも出来ないと言われて不満を感じないわけはないが、事実出来ないには相違ない。
「無力で、役立たずのバクラくんはさぁ…、ホントになーんにも出来ないの?」
 含みのある口調の宿主は、相変わらず俺をゆらゆら揺らしながら。
「…なんだよ、それ…」
 肉声であったなら、きっと上擦っていたかもしれない。
 ぼそぼそとした俺の声を聞いた宿主は、ふ、と、笑いのようなものを零した、――馬鹿にしたような。
「君さぁ、さっきから聞いてれば、何、とか、どうして、とかさ、そればっかり。ちょっとは自分で考えてみたら? それとも、君もやっぱりただの幽霊と一緒?…ううん、姿も実体化できないようじゃ、それ以下かもね」
 一気にべらべらと喋って、変わらず笑みを零したまま、宿主は、部屋のドアに手をかけた。
 内側からドアを叩く音は、今だ収まってはいない。
「待てよ、開けるんじゃねェ馬鹿」
「…怖いの?」
「そういうんじゃ…」
「怖いんでしょ。だって君には何の力もないんだもの、僕というウツワがないとさぁ。本当はそうなんでしょ? だって力があるんなら、こんなにも苦労してまで、誰が持ってるかも判らないアイテムを七個も集めようなんて思わないもんねぇ」
 自分でも頼りないくらいに信憑性に欠ける否定は、宿主に力づくで叩き潰される。
 宿主の言葉に嘘はない。
 真実の言葉――、それは、この幻のような意識の中で、唯一揺らがぬ本質の力だ…。

 ゆっくりとドアノブを回しながら、宿主はさらに言葉をつむいでいく。
「どうして、死んだ人が霊魂だけになって尚、この世に留まってるか、君知ってる?」
「……知るわけ、ねえだろ…」
「…誰もが霊になるわけじゃない。生きることに未練が有るひと、忘れることが出来ないひと、…身体は滅びても、心がそれを受け入れられないひとたち…。そういう思いを抱いたひとが、死んだ後もこの世にしがみついている。…君も、そうなのかな?」
「………」
「君は、何を望んでここにいるの? 自らが何者なのか理解できてる? 君の望みが何なんて僕は知らないけどさぁ……」
 宿主はドアを開ける。廊下のオレンジ色の光に慣れていた視覚には、室内は純粋な闇にしか見えない。
 重い金属光を放つ千年リング。きらりと光った宿主の瞳。
「因みに僕の願いはねぇ、今んとこはキミを引きずり出したいってくらいかなぁ。七夕の短冊があまっちゃったらお願いしてみようって程度の願い事だけどね。その程度だよ? その程度、叶えてよ盗賊」

 サンタはどんな豪邸にも不法侵入した挙句贈り物を置いて去っていくらしいが、俺ならそんな開錠テクがあったら金目のモンは根こそぎだ。
 お願いを聞くのは間違っても盗賊の仕事じゃあないぜ宿主サンよォ…。


 真っ暗に見えた部屋の中は、目が慣れてきたら脱出したときとなんら変わったところはなかった。
 ドアの真ん前にごろりと転がったままの幽霊の少年に、宿主は呑気に声をかけるとその前にしゃがみこむ。
「…こんばんは。さっきはごめんね、ウチの居候は小心者でねぇ。用があるんだったらあんまり驚かさないように穏便に頼むよ」
 誰が小心モンだと異議がこみ上げるが、残念ながら無駄口が無駄口以上の成果を上げた例はなく、むしろ悪しき状況をまねくというのは経験上学習済みなので、今回は黙っておくことにした。
 俺からの反論がないのをいいことに、宿主は血まみれの顔面の前に千年リングを掲げる。するとうつむいていた顔が上がる気配がして、ちょっとの悪寒を感じた。
 宿主は飼い猫をじゃらす子供のように、ねこじゃらしがわりと俺をゆらゆらと振り続ける。
「ちょ、ちょっとコラ! 宿主よォ!! なにしてんだよテメエ!」
「…いや…だって……」
 ガキの幽霊の視線がそれを追うのが可笑しいのか、俺の態度が滑稽だからか、その口からかすかに笑いがもれて怒りがつのる。このまま部屋の隅にでも投げられてしまったらかなり頂けないシチュエイションではないか。
「…やっぱり、君に用事があるみたいだねぇ…。じゃ、僕は引っ込むとするから、せいぜい頑張ってお話してね。凶暴な人じゃなさそうだから、取り殺される心配はないんじゃないかな」
「オイッ、テメ…!」
「僕が思うに、君はハングリー精神が足りないよね。何がなんでも望みを叶えたいようにはとても見えないんだ。この出来のいいカプセルに守られて、自我を保つことすら忘れてしまっている…それじゃ、だめなんだ。わかる?」

 じゃ、と、別れの言葉も軽く、俺の意識は強制的に通常次元に戻された。いつの間にか千年リングは定位置の胸元に収まっている。
 宿主の意識は瞬時に拡散してしまってとても拾うことが出来ない。途方に暮れる俺の足元にそろそろと近づいてきた気配に、宿主を追求することを断念せざるを得なかった。
「…な、なんだよ…俺様悪事は働くが、てめえに恨まれるようなことした覚えはねえぞっ」
 近づいてくるソイツを足先で蹴り飛ばしながら、ドアの外に逃れようとする。とりあえずドアの外には追ってはこれないらしいので。
 しかし、廊下の光が漏れてくる隙間に身体を滑り込まそうとした矢先、驚いたことにソイツの腕が蛇のように伸びたのだ。
「…っ! うおあぁ!?」
 裏返った声を上げてその腕を凝視する間に、腕は俺の身体が動くより先にドアを閉めてしまった。慌ててドアに飛びつくが、カギの付いていない筈のドアノブは全くびくともしなかった。
 足首に触れた感触を感じ振り返れば、ソイツはすがるようにして俺を見上げていた。

(……行かないで…)

 てっきり獲物を捕らえて舌なめずりでもしているかと予想していたので、拍子抜けな様に強気に出て追いすがる手を振り落とす。ドアは相変わらず開かなかったが、こうなったら根競べだ。
「俺様はオメーとお話することなんかねーんだよッ! 夕飯の支度はあるし風呂も沸かさなくちゃなんねえ、テメエの相手してるヒマなんざねえんだよ! 化けて出るなら住所違うんじゃねえの!? さっさとお家に帰って二度と来んなっ!」
 ドアの前に仁王立ちして一気にがなりたてる。生活的な理由付けに、俺もずいぶんと宿主に毒されてきたなぁと我が身を振り返った。
 幽霊という言葉のイメージが先行してあれほど怯えてしまったのも、今となってはバカバカしいことこの上ない。ただの死にぞこないのガキを恐れる必要がどこにある?
「オラオラァ、悪霊退散っ!」
 俺の剣幕に少々ひるんだようなソイツを窓際まで蹴りだそうとした時、すり抜けてしまった接触面から意識が流れ込んできた。

(助けて助けて助けて……)

「…っく!?」
 慌てて飛びのいて距離を確保する。ドアから離れてしまったが、どうせ開かないならそばに居ても関係ないだろう。
 どうやら接触すると奴の意識を読み取ることができるらしい。…むしろ、問答無用で念を押し付けられるといった方が正しいかもしれないが。
 一瞬感じた限りでは、奴の意識の内容はたった一つのようだった。
――助けてくれ。
 身動きもろくにとれない、無力な死霊。それはひどく憐れな存在に思えた。
 ソイツは自由の利かない身体でなんとか俺を追おうとしているが、前進もままならない程苦しげで、俺はつい油断して緊張を緩めてしまった。
 失念していた。…奴の腕は、強迫観念を発動条件に伸びるのだということを。
 狭い部屋の中を逃げる時間もなく、後ろを向いた俺の足に生々しい感触が絡みつく。物凄い力で引っ張られ、俺は床に引きずり倒されてしまった。
「う、わ…っ…!」
 振り返りざまに倒れたので、肩口から模造フローリングの床に叩きつけられ、振動で机の上のジュースのグラスが揺れる音がした。
「やべ…」
 グラスを直さなくては。
 そんな状況ではないのは確かなのだが、俺は何故かそればかりを考えていた。
 だが足から絡みつく奴の腕は、大蛇のように俺の全身を捕らえ、俺はグラスを直しに行くことが出来ない。
「やめろ…っ、俺に…入って、くんな…」
 流れ込む他者の意識…助けて助けて助けて…、グラスを直さないと、落ちてしまう。
 混ざり合う意識の中で、必死になってそれだけを考える。唯一自由になる右腕を机へと伸ばす。
「…くそ…っ」
 どうして身体が動かない? 助けて助けて助けて助けて……グラスが、落ちる。割れてしまう。
「畜生…」
 床を汚したら宿主に小言を言われるだろうな。それは確かに俺の意識だった――最後の。
 後は唯一色の意識に塗りつぶされていく。
 俺は動くことが出来ない。立つことが出来ない。誰か、誰でもいいから、助けてくれ…。
 助けて…
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