【リング】
BAKU×BAKU
 3:


俺は薄暗い住宅街を歩いていた。

時々通る近所の道だ。ついこの前もボール遊びをする子供を見かけた。もっとも今は早朝なので、どの家もまだ活動を始めていないようだったが。
もうすぐで広い道路に出る。曲がって道路の向こう、少し歩けば学校に着く。
今週末の試合に向けて、部活も追い込みに入っていた。俺はまだ一年だから、そう活躍は出来ないだろうけど。
十字路にさしかかった時、弾みで肩から提げていたボールが落ちてしまい、慌てて俺はその後を追う。下り坂になっている道を、ころころと転がって行ってしまう黒と白の球体。
俺は横断歩道に出る。多少広い道路だったが、まだ暗い道。転がるボール。ボールと逆の方角から、勢いよく迫るトラック――。
そして全身を貫く衝撃と、こみ上げる痛み。
アスファルトに叩きつけられ、俺は全く動くことが出来なかったが、ぼんやりとした意識の中で、運転手らしき人物が停めた車から降りてきて、引きつった叫び声が聞こえ男だと解った。
全身がしびれたように動かない。特に痛むのは右足で、目だけ動かして見たら、真っ赤に染まって、膝から血が吹き出ていた。
痛くて、どうしようもなく痛くて、不意に視界がぼやけた。指先ひとつ動かせないが、俺はまだ生きていた。運転手が救急車を呼んでくれるまで、どうにかして生きなくては。痛い。早く救急車を呼んでくれ…。
しかし、ぼやけた視界で運転手は踵を返す。再び車に戻って、エンジンをつけっぱなしにしてあったトラックはすぐに走り去ってしまった。
電話を探しに行ったのだろうと思いたかった。でも、しばらくして、置いていかれたと理解した。俺は大怪我をして痛くてたまらないのに。動けないだけで、生きているのに…。
声が出なかった。せめて声が聞こえればあの運転手は行ってしまわなかっただろうか。震える唇から零れたのは、赤黒い血の塊だけだった。
気道が詰まって、息を吸うことも苦しいが、どうにかして助けを呼ばなくてはならないと思った。
それだけを念じながら、どうにか右手を動かす。次は左手。なんとしても誰かに見つけてもらわなくては、きっと死んでしまう。
…嫌だ…死ぬのは嫌だ…。
車道脇で待っていれば、誰か発見してくれるかもしれない。頭から流れ出た血で、視界の大方はふさがれてしまっていたが、どうにか道路を這っていく。
右足が全く動かないのが悲しかった。引きちぎれてしまったのだから。…立てない。立って歩くことが出来れば、歩道なんてすぐなのに。
遠くからかすかに車の排気音が聞こえてきた。その人に助けてもらおう。
しかし、段々近づいてくる自動車は、全く減速の気配がなかった。
もう一度轢かれたら、今度こそ俺は砕けて死んでしまう。嫌だ、死にたくない、助けてくれ。
助けて…死んでしまう、砕けてしまう。痛い。それこそ必死に這った。何故立てない?走らなければ、また轢かれて…死ぬじゃないか。
ばらばらになる身体、飛び散る血飛沫。頬にかかったそれは、嫌に冷たかった。

冷たい、血…液体。
砕ける、割れてしまう。
それは、俺の身体…?違う…それとも…ガラス。
飛び散る冷たい液体……。
むせ返るような血の匂いは感じない。感じる香りは、これは…。
…違う…。これは、違う…!



 真っ先に感じたのは、むっとするくらいのオレンジの香り。視界をぽたぽたと横切る水滴から発する香りだった。
 目を凝らすと、床に水溜りが出来ているのがわかった。少なくとも血ではなかった。液体と一緒に飛び散っているのはガラスの破片。窓の外には月が輝いているのか、きらきらと光っていた。
「…はぁ…はぁ…っ…ぁ」
 どうしようもなく息があがっていた。まるで体育の授業のあとみたいに。床に密着した耳に聞こえるのは俺の身体から伝わってくる脈動なんだろう。ガンガン響いてこめかみが痛いくらいだった。身体はがたがたと震え、肌が総毛だっている。
 それでも、俺は生きていた。
 死んだかと思った。だけど、血飛沫の代わりに浴びたのはオレンジジュースで。オレンジを浴びて死ぬはずはない。どうやら、グラスが落ちると認識してから落下するまでのほんの一瞬に幻を見たらしい。
 あれは、間違っても俺の記憶ではない。交通事故死は現在では珍しくもない死因だろうが、俺に限っては死因が交通事故死である可能性は皆無だからだ。
 今も少しでも気を抜けば、奴の記憶が俺の思考を蝕もうとしているが、一度冷静さを取り戻せば、それを拒絶するのは出来ない話ではない。もう二度とあんなヴィジョンを見せられるのは御免だから、どうにかして意識をつなぐことに専念する。
「…っふ…、…ありゃ、テメエ…の、か?」
 顔をゆっくりと移動させる。擬似臨死体験は結構なダメージを俺の肉体に与えたらしく、緩慢な動きしか取れなかったが、今はそれで十分だった。俺の身体と半分同化するようにのしかかっている少年は、長く伸びた両腕で俺を放さまいと必死の形相でしがみついていた。
(死にたくない…助けて)
 少年はなんども同じ言葉を繰り返す。それがコイツの全ての念なのだろう。助けて、死にたくない。
 今日の帰り道、宿主と会ったときも、こいつは全く同じ事をいっていた。そして、宿主の無慈悲とも思える返答。今なら、それが解る。他に言いようがないのだから。
「…そりゃ、無理だわ」
 答えた瞬間、身体に巻き付く力が急激に強くなる。意識せず呻きがもれ、呼吸の整いきらない肺が痛みを訴えた。リングの力を試そうかとも考えたが、止めた。根競べをしたら、きっと肉体に縛られた俺が負けるんだろう。なんせ夕飯はまだなのだから。
 それでも、俺が死ぬとは思えなかった。
「死にたく…ねぇのか…?」
 吐息ほどの小さな声しか出なかったが、奴はこくこくと何度も頷いた。意思の疎通が全く出来ない訳ではないようだ。奴の思考範囲は、生者と違って限られたものなのだろうから、その範囲で会話を進めなくてはならない。
 コイツの思考は至ってシンプルだ。たったひとつ。死にたくない、助けて。
「…そうか…そうだよ、な…。ソレ、よく判る…」
 奴から流れ込んだ臨死体験は、そのまま俺の記憶に組み込まれている。
 痛み、焦り、そして恐怖。それがコイツの記憶のすべてなんだろう。
「俺様も…死にたく、ねぇんだわ」

 どうにかよろよろと半身をもたげる。グラスの破片を踏まない様に、机にもたれかかって一息つく。
 幽霊をくっつけたままで生活するのは困難そうなので、どうにか引き離さなくてはならない。この状態では立つこともままならないからだ。人間は這って生活する様には出来ていない。
「テメー…立てねえの?」
(…立てない…)
 返事が返って来た。何だかわからないがソレが少し嬉しいと感じた。そうだ…こいつはただの中坊のガキなんだ。死にたくないという願いは、もう叶いはしないが、何とか成仏させることは出来ないだろうか。
「俺も立てねえなァ…、なぁ、テメーもちょっとふんばれよ、立とうぜ?」
 声をかけながら顔をみると、片ッぽだけの眼球が伏せられた。ダメ、立てない。視線の先には断ち切られた右足。
「…んな訳、ねえって…、オラ、俺様につかまってろよ…痛て、締めすぎは勘弁な…」
 唯一自由になる片手でオレンジ臭い前髪を払い、机のヘリにかける。立ち上がろうと足に力をこめるが、とんでもなく重くて、俺は小さく舌を打った。
 俗に言う金縛りというものなのだろうか、腰から下が全く痺れた様に動かない。――それでも、俺は何としても立たなくてはならないのだ。
「…重いよ…オマエ。俺様非力なんだから…手ェ貸せ、片手ありゃしがみつけんだろ、テメーも掴まれよ…。よし、そうそう…」
 俺は小さく笑っていた。まるでリハビリの先生にでもなった気分で、あまりの似合わなさに苦笑してたのかもしれないし、覚えの悪いガキの反応に喜んだのかもしれなかった。
 ほんの少し足のしびれが抜けた気がして、ゆっくりと左の膝を立てる。
 しかしどうにも右足は動かなくて、どうしたものかと思う。だが、動かないはずはないのだ。俺の右足はちゃんとくっついているのだから。これは、コイツの念だ、思念に縛られているんだ。
「くそっ…動け…!」
 ゆっくりと、前にずらす。引きずられる右足。俺の身体と奴の体は既に半分以上同化していて、俺の足は奴の足でもあった。
「…ほら、動くだろ? …立って、何処にでも好きなとこに行っちまえよ」
 励ますなんて、なんて柄にもないことをしているんだろう。こんなところ宿主には見せられない。幸いに宿主の意識は深層に沈んだままだ。

「…っと、やっべ…」
 余所事を考えたのがまずかったのか、不意に張り詰めていた意識にもやがかかりだした。ヤバイ。ここでもう一度倒れたなら、俺はもう立てないかもしれない。
 腕に力をこめると、奴の目が俺を見た。心配しているんだろうか。
「テメ…そんな腕にばっか力いれてんじゃねえよ…、力入れんなら足だろ? …そろそろ俺様キツイから…あとはテメエで何とかしてくれよ…」
 だんだんか細くなっていく呼吸の間に言葉を紡ぐのは、かなりの意志を必要としたが、ちゃんと伝わったらしい、足がふっと軽くなる。
 宿主は「凶暴性はなさそうだから」とかなんとかほざきやがったが、後で査定に文句をつけてやろう。絞め殺されかけたじゃねえか馬鹿、って。
 少年から目を離し、正面を見たら、その先に窓が見えた。窓の外にはゆっくり流れる雲と、月の光。さっきまでは月の姿は見えなかったが、視点の高くなった今はこうして見ることが出来る。もうすぐだ。それまで意識を飛ばすわけにはいかない。
 ガラスに映った自分自身に語り掛けるように念じた。
 もうすぐ…もう、すぐだ…。

「…へへ…立った…」
 大方痺れの抜けた手足。大部分が同化していた身体も、足のあたりがもやもやしてるくらいで、もうほとんど分離している。痛みの記憶ももう流れてきてはいなかった。
 やったな、立てたじゃねえか。
(…うん…)
 頷く少年のひしゃげた頭をぽんぽんと撫でる。手を離したら、陥没していた顔半面の無残な傷跡は跡形も無く消えていた。
 俺を見つめる両目にも先程までの虚無は無い。俺はゆっくりと頷いた。
「…もう、こんな蛇みてェな腕はいらねぇだろ? テメェにゃ足がある、一人で、立てる」
(うん…)
 何度も何度も返事をしているソイツの姿は、もう普通の中学生と変わりなかった。奴の背後の窓から、さあっと仄かな光が刺す。蒼い月の光が部屋の中を照らしていた。
「もう、ふらふらこんなとこ来んじゃねェぞ、余所見せずに行けよな…」
 肩に置いていた手を離すと、ソイツはゆっくりと後ずさる。
「じゃ、な」
 さわさわと、夜の涼しい風が開け放した窓から吹いてくる。
 奴は一度だけ小さく手をふった。お別れだ。俺も軽く手をぱたぱたさせた。
 背を向けるのと同じくらいのゆっくりとしたスピードで、奴の身体が月の光に溶けるように淡くなり、完全に背を向けた時には、もう、部屋の中にいるのは、ぽつんと月光に照らされている俺ひとりだけだった。

「…あーー…俺様除霊の才能…あったり?」

 奴の消えた空間を俺は見つめて独り言ちる。窓ガラスに映った自分の顔は苦く笑っているように見えた。
 ふっと身体から力が抜け、床に崩れ落ちる感覚を知覚する。予想外に体力を消費してしまったらしい。
 俺の部屋にいきなり車が飛び込んでくることはない。慌てて立つ必要は俺にはない。オレンジジュースの後始末のことが一瞬掠めたが、今すぐしようという気になれなくて、俺は崩れるにまかせることにした。

 俺は眼を閉じる。床にへたり込む感覚。フローリングの冷たさ。
 それは全く違和感のない触覚のはずだった。
 俺は息を吐き、眼を開ける。
 だが。

 だが、俺は座り込んでいるのに、何故、窓ガラスに映っているのだ?
 立ち尽くしている、俺の、姿が――。


 俺は慌てて降り返る。壁にもたれるようにしゃがみ込んでいる俺。閉じられた瞳に、首から下がった千年リング。まぎれもない俺の姿だった。
 では、この俺は何なんだ?
 この、座った自分自身を見つめている、立っている俺は一体何だというんだ??
「…ま…まさか……」
 今度は窓ガラスに駆け寄る。ガラスに映っているのは、驚愕に慄いて、みっともないご面相の、それでも後ろにへたり込んでいる俺と寸分たがわぬ俺の姿。
 そして、窓ガラスにびたんと貼り付いた俺の手の平と、透けて室内を照らす月光…。
「うわぉおおぉッ!?」
 つい、叫んでいた。じっと穴が開くくらい凝視した両手は、穴どころか向こう側が、窓の外の夜景が透けているのだ。
 俺の脳裏に、先程この部屋から立ち消えた少年の姿が思い出される。月の光に照らされて、ゆっくりと消えて行ったアイツ。
 俺の手の平は透けている。まさか、このまま消えてしまう…なんてことは…。
「〜〜〜〜!!??」
 声にならない悲鳴が迸る。消えてしまっていいはずがない。断固、そういうわけにはいかないのだ。だって、俺はまだ消えるわけにはいかないのだから。
 俺の望み? そんなもん決まってる。
 たったひとつのシンプルな答えだ。
 "俺は死にたくない"



「なにやってんの?」

 やたらと狼狽していた俺の背に、気の抜けた声がかけられ、俺は比喩抜きで飛びあがった。
 どうやら馬鹿みたいな悲鳴を上げたみたいだが、上げたことを自覚していなかった。止まりそうな心臓を鼓舞して恐る恐る降り返ると、きょとんとした宿主がリングを持って立っていた。
「…や…や…宿主…」
 歯の根が合わない。今度こそ俺はゆるゆると崩れ落ちた。

「だ、大丈夫?」
「…ああ…」
 珍しく宿主もオロオロして俺を見つめている。俺は消えていきはしなかった。宿主がしっかりと千年リングを抱きかかえているのを見て、ふっと安心する。大丈夫、俺は消えはしない。
 ゆっくりと立ちあがると、俺とほぼ変わらない視点にある宿主様の驚いた瞳。人外のものを映す眼。
「…テメーは…宿主さま…だな?」
「う、うん…そうだけど……、キミは…」
「……バクラ、だろ」
「…そう……、ばくら…」
「…住所不定の無職、前科多数。現在町内高校生獏良了宅に居候中…。追記事項だ…、氏名バクラ(推定年齢十代後半)…OK?」
「うん、うん…OK! バクラ!」
 宿主の両手が俺に伸びる。崩れる様に抱き付いてきた身体は、半ば透けてしまったが、確かにそこに存在していた。
 俺と、宿主様。
「やっと…逢えたね」
 ぽつりと洩れた呟き。
 同感だ。

 鏡に映った宿主の姿。
 ああ、そうだ。
 何を悩むことがあった?
 あれが、俺じゃねえか。

 生ッ白い不健康な肌。ジジイの白髪とかとは違った光沢の銀髪。娼館の女将に美人だと可愛がられた顔。
 俺はナイルの河畔に立つ。吹き抜ける乾いた風。波打つ水面。
 凪が来て、穏やかになった水面に映って見えたのと寸分たがわぬ姿。
 それが、俺だったんだ。

 忘れていけないもの、みっつ。
 名前。
 姿。
 目的。
 俺のために必要な三か条。
 後はなんにもいらねえ。
 いつの間にか手段が目的になってたんなんざ、盗賊の名折れじゃねえか。
 お宝への地図を探すのに必死になって、肝心のお宝が何かを忘れてしまっていた。

 宿主の首からも、俺の首からも下がった千年リング。蒼い月光を鈍く反射する金属の塊。
 そうだ。これは、俺じゃあない。俺の依代、ただのウツワ。


「…ちゃんと、お願い聞いてくれたんだ」
 宿主はニコニコと嬉しそうに俺の顔を物珍しそうに見つめていて、なんとなく気恥ずかしくて視線をそらしながら喋る。
「あ? ああ…、ま、気が付いたらこういうことに…って感じだったけどな」
「えへへ、やるじゃん…役立たずの汚名返上だね。ところでさっき何窓際でおたおたしてたの?」
「…う…うっせぇ、おたおたなんてしてねえよ! ちょっくらびっくりしてただけだっつの」
「同じじゃん」
「うるせー」
 宿主は俺の肩を何度も嬉しそうに叩いている(透けていたが)。俺が真っ赤に染まっていると思われる顔を背けていたら、やや真面目な声が聞こえてきた。宿主は目を閉じている。
「…ふと、気が付いたらさ、僕の中にいつもいるはずの君がいなくてね…僕は慌てて探した。でも、どこにも君はいなくて、僕は目を開ける」
 眼を開ける。透き通った瞳に映っているのは、俺。
「…そうしたら…君がいたんだよ」
「…へっ、びっくりしただろ?」
「君ほどではないけどね。凄い悲鳴だったじゃない?」
「…うるせえっつーの。…畜生―むかつくーー忘れろよ、いいな?」
「命令?」
「忘れて、お願い」
「うん、忘れた」
 いつの間にかいつもの宿主に、自分の要求だけはことこまかに要求する宿主に戻っていて、俺は不思議と安心する。
 それでいいんだ。
 寄生虫と宿主。それが俺たちの理想の関係。
 お互い我が侭言い合って、たぶんそれが一番なんだろう。

「そうそう、キミのお願い聞いてあげる代わりに、僕のお願い聞いてくれるよね?」
「…なにィ? この上まだなんか注文あんのかテメエ?」
「交換条件じゃん。僕は君の為に千年リングをずっと身につけておいてあげるからさ。代わりに僕はどーーしても、君が何者なのか教えてもらうからね。僕はキミみたいに気が長くないから、何千年なんて待てないよ。高校卒業までにはカタつけてもらうからね」
「何だと? あと二年もねーじゃねえか!」
 俺は驚いて叫ぶ。まだ俺の手元にはアイテムは二個しかないし、遊戯のパズルはラストとすれば四個は所在すら不明じゃねえか。
「言わせてもらうけどさー、君って何気に先送り性格でしょ。そんなだから何千年たっても集めらんないんだよ? 判る?」
「う…」
「そんでね、僕さ、高校卒業したら造形美術系か心理学系のどっちかの大学に行こうか迷ってたんだけど、君が協力してくれるんなら、僕は留学して超心理学を専攻して超常現象の夜明けを開いた男になってみせるから。いい?」
 宿主の目はキラキラと輝いていた。こういう目の宿主に何を言っても無駄なのは判っている。大志を抱くのは結構なことだ。はた迷惑でさえなければの話だが。そういえば、こいつは根っからのオカルト野郎だったんだ…。
「…俺はテメーのメシのネタかい」
「家賃だよ、や・ち・ん。でなきゃ君みたいなタダ飯食らい置いとくわけないじゃん」
「俺が飯作っても収まるのはテメーの胃袋じゃねぇか〜」
「そういえばもう夕飯の時間すぎちゃったねぇ。何ならお祝いに赤飯焚こうか? って…あーー!!? 何このジュース!ちょっと!?」
「うえ〜〜ん、聞きたくねえ〜〜」
「何大暴れしてんたんだよ! 僕くれぐれも穏便にって言っといたじゃん!」

 ぎゃいぎゃいと喚く宿主とあたふた弁解する俺。いつのまにか押し切られて今夜の夕食は俺が作ることになってしまった。
 すっかり日の暮れた歩道を歩く。スーパーの閉店まではもうろくに時間がなく、俺は小走りに道を行く。
 月の光と街灯に光るアスファルト。例のガードレールには、今は誰もいなかった。

 悪霊にとり付かれた男は、嬉しそうにスーパーへと向かった。



 <END>

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